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捨てられた審判記録、神戸事件の遺族が語る「保存の意味」 自身は少年Aの手紙もデータ化
会見する土師守さん(左から3人目、2023年2月14日、弁護士ドットコムニュース撮影)

捨てられた審判記録、神戸事件の遺族が語る「保存の意味」 自身は少年Aの手紙もデータ化

神戸連続児童殺傷事件の少年審判記録が廃棄されていたことが2022年10月、神戸新聞の報道で明らかになった。1997年に当時14歳が起こした重大事件で、少年法改正の契機にもなったにもかかわらず、その審判の経過を二度と誰もたどれなくなったという事実に、遺族は驚愕し、落胆した。

当時小学6年生だった淳くんを亡くした土師守さんは、近年、自宅の資料をデジタルデータ化して保全を進めていた。それは自分が亡き後も、どこかに記録が残っていたほうがいいと思ったから。地道にスキャンをしていた傍らで、裁判所は記録を捨てていた。土師さんが一度も見ることができなかった審判記録は、世の中から消え去られてしまった。

土師さんは、代理人の井関勇司弁護士と神戸家裁に調査を求める要望書と陳述書を提出。最高裁は2月14日、土師さんから意見を聴取した。

●手元にある資料のデータ化に勤しむ日々

土師さんは、裁判所による廃棄を知る前から、自宅に残る資料を保存し、後世に残すことを進めていた。自身も妻も60代を超え、終活の一環として、事件当時の新聞記事や週刊誌、紙の資料をスキャンし、デジタルデータ化。テレビ番組などの映像も含め、DVDにして取材に来る記者に渡していた。

「我々が死んだら、息子も整理に困るでしょう。複数のメディアに渡しておけば、誰かしらが持っていて、事件のまとまった記録がどこかにはあるという状態になると思ったんです」

中には、淳くんが見つかる前に近所で配られた捜索ビラのデータもある。近所の人か警察かが作ってくれたはずだが、当時の混乱の中であまり思い出せないという。紙焼きだった家族写真も、自身が出版した著書「淳」「淳それから」もデータ化してある。

医師という仕事上、学会や勉強会のために大量の論文を読むことが多いのもきっかけだった。勤務先の病院の電子カルテ化導入に関わったこともある。仕事の資料はタブレットに入れて持ち歩いている。

●元少年Aからの手紙も取り込んだ

この土師家のデータベースには、元少年Aの手紙もある。

医療少年院にいた加害者の元少年Aは2004年の仮退院を経て、2005年に本退院。07年から命日が近づくと遺族に手紙を送っていた。土師さんらは、それを受けた感想をメディアに表明する日々が続いた。

しかし2015年、Aが手記「絶歌」を出版。土師さんら遺族は不信感をあらわにし、16、17年の手紙は受け取りを拒否した。手紙は18年以降途絶えたが、データベースには07年以降のすべての手紙のデータが残されている。

●「司法が史実を消していいのか」

土師さんは「将来、法改正があって私が審判記録を見られる日が来たかもしれない。なぜ事件が起きたのか、に近づけるかもしれない。そんなわずかな思いも絶たれた」と強調し、再発防止のための徹底的な検証を求めた。

「歴史的な事件の記録は、すべて『史実』です。司法が勝手に消していいのでしょうか。本来なら公文書として残すべきです。政治も含めて国全体で考えてほしい」

土師さんは14日、最高裁の有識者会議で約45分間にわたって、委員である元検事、弁護士、学者の3人と向き合い、意見交換をした。都内で会見し、その内容について語った。

冒頭、総務局長から今回の廃棄について「適切ではなかった」とお詫びの言葉があったという。井関弁護士は「廃棄した経緯の調査結果をいつごろ出せますか?と聞いたら4月ごろとのことでした。直接、遺族側に口頭で説明してほしいとお伝えしました」と説明した。

土師さんは「肉声で伝えることに意味があると思って東京まで来ました。一般常識と司法の常識には、ものすごい乖離があります。(廃棄の)手順がないなら聞けばいい。『聞かないで(廃棄して)ええやろ』というのは、一般の組織ではあり得ないことです。裁判所には変わってほしい」と語った。

(2023年2月14日午後5時50分、会見内容を追記しました)

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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