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「生まれてくるべきじゃなかった」 64年ぶりに外の世界に出た無期懲役囚、不意に流した涙
64年ぶりに刑務所の外に出て暮らす無期懲役囚の男性。インタビューの途中、急に目に涙を浮かべて声を詰まらせた(一宮俊介撮影)

「生まれてくるべきじゃなかった」 64年ぶりに外の世界に出た無期懲役囚、不意に流した涙

2年前、ある刑務所の門から一人の無期懲役囚が姿を現した。服役期間は国内最長級の64年。「人の情けに生かされてきました」。塀の外で平穏な生活を送る今、獄中では決して抱くことがなかった感情に向き合っている。そして、現代を生きる若者への思いを口にした。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)

画像タイトル 無期懲役判決を2度受けて仮釈放された男性が収容されていた熊本刑務所(2024年6月29日、熊本市中央区で)

●半世紀ぶりの「外の世界」、道行く子にも感動

「やっぱり子どもの可愛らしさ、犬の可愛らしさ、女性の華やかさ。しばらく見てないとね、あぁこんな感じかぁって」

稲村季夫(いなむら・すえお)さん、91歳。

2022年6月、熊本刑務所から仮釈放され、約64年ぶりに外の世界に戻ってきた。

現在は入所する施設での掃除や植物への水やりが日課で、穏やかな日々を送る。

「外ですれ違う子どもが『おはようございます』って言ってくれると、自分の存在が認められたようでうれしい」。

何も知らずに話を聞くと好々爺のように見えるが、彼は2人の命を奪った無期懲役囚だ。

法務省が2023年12月に公表した資料によると、2022年に仮釈放を許可された無期懲役囚6人のうち、判断時の在所期間が63年を超えていたのが3人いる。稲村さんはそのうちの一人とみられ、過去のデータを見るとこの3人を上回る長さは見当たらない。

画像タイトル 64年ぶりの外の生活で、子どもや犬を見た時の感動を語る稲村さん

●東京タワーが完成した年に最初の殺人

一体、過去に何があったのか。

さかのぼること66年前。1958(昭和33)年5月19日午前8時過ぎ、稲村さんは知り合いに誘われて働き始めた与野町(現・さいたま市)の工場で、上司の長田進さん(当時46歳)を刃渡り26センチの刺身包丁で突き刺すなどして殺害した。

さいたま地検に閲覧請求した当時の刑事記録によると、「3カ月くらい経てば本採用にする」という約束が守られなかったことに不満を募らせ復讐を決意したという。

1958年は東京タワーが完成した年だ。プロ野球巨人の長嶋茂雄がデビューし新人王を獲得した。

日本が高度経済成長に突入していたそんな時、稲村さんは浦和地裁(現・さいたま地裁)から無期懲役を言い渡された。25歳の時だった。

しかし、凶行はこれで終わらなかった。

画像タイトル 1958〜59年に稲村さんが起こした2件の殺人事件について伝える当時の新聞記事

●刑務所でも凶行 2回目の無期懲役判決

半年後の1959(昭和34)年7月8日には、収監された千葉刑務所で知り合った受刑者の鈴木和男さん(当時28歳)を別の受刑者(当時25歳)と共謀して革切り包丁で刺し殺した。

バカにされたり非難されたりしたことに我慢できなかったという。

この時は検察が死刑を求刑。弁護士は「稲村は極度に興奮しやすい精神的欠陥者で、犯行当時は心神耗弱の状態にあった」と主張した。

千葉地裁は1959年10月24日、「あらかじめ事前に詳細かつ具体的に打ち合わせをしており、稲村の行動になんら精神病的異常は認められない」として2度目となる無期懲役の判決を下した。

当時の新聞には、被害者の言動が誘発した面があったとして「この事件としては情状判決となった」などと書かれている。

画像タイトル 事件を起こした1958年当時の自身に関する新聞記事を読む稲村さん

●「当時の日本は引揚げ者に冷たかった」

こうした凶暴性はどうやって生まれたのか。稲村さんは古い記憶をたどって語り始めた。

1933(昭和8)年5月、朝鮮の京城(現ソウル)で日本人の両親のもとに生まれる。

小学生の時、満州で終戦を迎え、1946年10月に両親とともに日本へ。知り合いを頼って東京や埼玉を転々とし、家庭は困窮した。

「当時の日本は引揚げ者に冷たかった」。稲村少年の目にはそう映った。

稲村さんは近所に住む子どもたちと豆腐を売って回ったという。自然と素行の悪い友達とつるむようになり、1950年に仲間が持ち逃げした知り合いの金を使ったことで多摩少年院に入った。

その後も窃盗や詐欺、覚醒剤使用を繰り返し、20歳で初めて刑務所に送られた。

画像タイトル 母(右)と写真に映る子どもの時の稲村さん。母親は10年ほどで稲村さんが出所してくると思っていたという

●収監後に開き直り「どうせ出られない」

「無期なのでどうせ出られないと思っていました」

収監されると開き直った。仲の良い受刑者がトラブルを起こして懲罰を受けると、代わりに刑務官や他の受刑者を襲撃し、服役中にも別の実刑判決を受けている。

処遇困難者として北海道の網走刑務所、大阪刑務所、広島刑務所に次々と移送され、最後に送られたのが熊本刑務所だった。

特に厳しい処遇を受けたのが1960〜70年代に収容されていたという広島刑務所。

保護房と呼ばれる布団だけしかない一人部屋に入れられ、両腕を背中で固定されたりお腹の前と背中の後ろで片腕ずつを固定されたりした状態で半年間を過ごした。

獄死を覚悟していたが、「惨めな人生で終わりたくない」と腕立てや腹筋などの筋力トレーニングはかかさなかったという。

タバコやアルコール、暴飲暴食や夜更かしなどとは無縁のムショ生活を長年送ったこともあり、皮肉的だが今も足取りや話し方は若々しい。

画像タイトル 稲村さんが刑事施設に入所した日と出所した日が書かれた書類。その期間は約64年に上る

●刑務所での出会い「このオヤジにかけよう」

シャバに戻ることを諦めていた人間を変えたのは、ある刑務官の一言だった。

「熊本刑務所の病舎にいた時、責任者にホリさんという方がいて、私が運動している姿を見て『この男は使えるな』と思ったんでしょうね。『俺が今度担当することになった工場に降りてこい。悪いようにせんから』と言われたんです」

「降りてこい」とは、その刑務官が担当する工場で刑務作業をしてほしいという意味だ。

「その時、ホリさんに報いないといかんなと思いました。そこまで言われたからにはこのオヤジにかけてみようと。それが出所につながるからと考えたわけじゃなくて、どうせ刑務所にいるならオヤジのためにやってやるってね」。

以来、反抗的な態度を改めた。

工場に移ってからはホリさんの指示に忠実に従った。15分の入浴時間で身体に障がいのある受刑者の入浴を手伝った後に自分の体を洗い、最後に全ての洗面器やシャワーの位置を整えて浴室を出ることを6年ほど続けたという。

「私を試すためだったと思うが、途端にそういう重労働を押し付けられたんで最初はちょっと不満だったけど、やっているうちに偉い人から『ご苦労さん』『稲村、頑張ってるな』と声をかけられるようになりました。そうした発端をホリさんが作ってくれた」

なぜ仮釈放が許されたのかは稲村さん自身にも知らされていないが、ホリさんとの出会いが大きなきっかけになったと振り返る。

画像タイトル 刑務所での生活を振り返る稲村さん。当初は「どうせ一生出られない」と思っていたという

●64年たって初めて感じた罪深さ

稲村さんが話をしている最中、不意に言葉をつまらせ目に涙を浮かべる瞬間があった。

「今は自分が好きな甘いものを自由に買って食べられる。『あぁおいしいな』と思った時、私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。中にいた時は考えたことなかった」

塀の中で64年もの年月を過ごし、社会に戻ってきて初めて感じる心の痛みがあったという。

「人の気持ちというもの、人間が生きる辛さ、弱さを全然考えていなかった。今になってそれが出てきている」

自分に言い聞かせるように時折うなずきながらこう続けた。

「どうしたら償えるか。償いとは言えるが、できない。まず被害者のことを考えなきゃいかん。どれだけの人を泣かしてきたかを」

画像タイトル 横断歩道を渡る稲村さん。外出先ですれ違う子どもからあいさつされると「自分の存在が認められたようでうれしい」という

●生まれたことを後悔 今伝えたいこと

少年院の時から数えると、実に70年近くを矯正施設で過ごしてきたことになる。今、何を思うのか。

「人間でなかったと言えばそれまでだが、昔の自分は考え方が大雑把だった。私は生まれてくるべきじゃなかったと思う。でもその反面、人の情けに生かされてきました」

今よりも殺人事件が数倍多く発生していた時代を知る稲村さん。現代の日本で「刑務所に入るため」に事件を起こす若者がいる状況を憂慮している。

「今、刑務所に入りたいとか人を殺したいとか言う人がいますが、私のような結果になるんだよと伝えたい。まぁ私が何を言っても愚痴にしかなりませんがね」

※この記事は弁護士ドットコムニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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