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「私は今とても幸福です」 新幹線殺傷事件、小島一朗・無期懲役囚からの手紙
小島一朗から届いた手紙には下書きした跡があった。ところどころ文字の色が赤や青になっている部分も(弁護士ドットコムニュース撮影)

「私は今とても幸福です」 新幹線殺傷事件、小島一朗・無期懲役囚からの手紙

2018年6月9日夜、東海道新幹線「のぞみ」の車内で、乗客の女性2人がなたで切りつけられ、それを止めようとした兵庫県の会社員の男性(当時38歳)が首などを切られ死亡した。

現行犯逮捕されたのは、当時22歳で住所不定の無職、小島一朗(28)。

裁判では「一生刑務所に入りたい」「無期懲役になりたい」と述べ、2019年12月18日に求刑通り無期懲役の判決が言い渡された。

判決を聞いて万歳三唱したという彼のその後が気になり、手紙のやり取りが始まった。

ここでは、小島から届いた手紙の一部を紹介する。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)

画像タイトル 小島一朗は走行中の東海道新幹線「のぞみ」の車内で殺傷事件を起こした。写真はイメージ(saboshi / PIXTA)

●「もういつ死んでもよいや」

<この手紙を通じて、世間の皆さんに何を伝えたいか、と申しますと、すなわち、この手紙を要約します、と、「刑務所はひどいところだから入らない方がよいよ。私は出たくないが」ということになります>

<判決要旨で、裁判長が「受刑の現実に直面させる」と仰っていたが、さて、どうだったでしょうか。私は保護室に入り続けるか、模範囚に成るか、どちらかのために、刑務所に入ったのでした>

<私はもう日常生活すら困難で介護が必要です。はっきりいって、寝たきりになりました>

<これで私はもう、あとは、栄養失調で心停止、すなわち、餓死するのを待つ。もういつ死んでもよいや、というかんじ>

<なにかしらの理由によって、福祉の手からもれてしまった障碍者や高齢者が刑務所へ入るために罪を犯すのはめずらしくない。実際としては小島一朗さんもその一人なのだ。信じられないかもしれないが、私は今とても幸福です。こうなることは人を殺す前から分かっておりました>

画像タイトル 小島一朗は手紙で「無期なら死ぬまで国が面倒を看てくれる」と書いてきた

●「絶対になりたくなかった有期刑」

<私は孤独で、孤立しております>

<私は安易に考えて、刑務所に入ったのではなく、刑務所のことは徹底的に調べ上げた上で刑務所に入りました。感想としては、まんま、そのとおり。こんなもんだよね、というかんじ>

<私はマル特無期ではないので、30年無事故をとれば、仮釈放をもらえるらしい。けれども、私は仮釈放されたくないので、そんなことをいわれたら、逆に事故を起こしたくなってしまう。仮釈放は怖い。もう二度とシャバには出たくない>

<私は、死刑になりたくなかったが、なったらなったで、控訴しない、という程度になりたくなかったに過ぎない。絶対になりたくなかったのは有期刑なのだ>

<死刑だろうが、無期だろうが、私のやることは変わらない。保護室ないしは観察室に死ぬまで入っているため、私は人を殺したのだ>

画像タイトル 小島一朗から届いた手紙。法務省が毎年まとめている「犯罪白書」を差し入れてほしいと依頼してくることがあった

●「この世のどこにも居場所がない」

<この世のどこにも居場所がない。けれども人は生きている限り、どこかに居なければならない。私はあの世を信じているから、死んだとしても苦しみや悲しみは終わらない。死というのは、この世からあの世へと移ろい往く事に過ぎない。どのような死に方でも死ねば同じだとは思わない>

<私は死にたい訳ではないのだ。餓死がしたいのだ。食事も衣類も寝具も要らない。私に必要なのは、餓死できるまでの間、私がそこに居てもよい、空間と時間だけなのだ>

<私はホームレスをしたり、精神病院にいたりした頃に、こんなことをして、そのまま餓死できればよいが、もし、別の生き方をしなければならなくなった時、頭も体もどうにもならなくなっていたら、誰が私の世話を、私の面倒を看てくれるだろうか、と不安だった>

<けれども、いま私は安らいでいる。刑事施設なら、頭も体もどうにもなくなってしまった私の世話を、私の面倒を、死ぬまで看てくれる。だから、私は、どこまでも、自分を破壊できるのだ>

画像タイトル 無期懲役囚の小島一朗は新幹線の車内で乗客を殺傷する事件を起こした。写真はイメージ(BASICO / PIXTA)

●「日本の刑務所には希望がある」

<無期囚から死刑囚へとなることは、現実性があるが、死刑囚から懲役囚へとなることは、現実性がない。無期囚は十分にやったので、もう死刑囚になっても構わない>

<死刑と無期は、死ぬまで、国が面倒を見てくれる。有期は、時が経てば、出されてしまう。有期刑の人が保護室に年単位で入りぱなしの場合、国はなんとか刑期が終わるまでは生きていてくれさえすればいい、という扱いだ。しかし、無期は、死ぬまでの数十年間、ずっと国に重い負担をかけるのである>

<日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある。私はもっとたくさん人を殺すことができたが、そうはしない。できないから、やらなかったのではなく、できるがやらなかったのだ>

<もし、日本がアメリカやフランスみたいだったら、無差別殺人犯はその場で射殺であり、裁判を受けることすらできなかったであろう。だから、そうだったら、大勢を殺していたであろう>

<死ぬまで刑務所に居てもよい、無期でこそ、私と国は一つとなる。私の損失は国の損失である。有期では、こうはならない>

画像タイトル 「刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ」。小島一朗から届いた手紙にはそう書かれていた

●「人並みの幸せはもとよりありえない」

<刑務所は、衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会では、これらを得るために努力しないといけないのだ。ところが刑務所は努力しなくてよい。むしろ、これらは用いることが義務なのだ>

<社会にいる時に、あれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは、食べない、と食べてください、お願いされるものになる。風呂についてもそうだ>

<刑務所と社会はあべこべである。社会では生きることは権利である。勝ちとらないといけない権利である。しかしながら、刑務所では、生きるのは義務であり、生きてください、と懇願されるところなのだ>

<受刑者としての普通の幸せは捨てる。人並みの幸せはもとよりありえない。無期で、死ぬまで保護室に入り続けることによってしか味わうことのできない幸せが存在する>

<無期なら、死ぬまで国が面倒を看てくれる。しかし、有期は?誰が面倒を看てくれるというのか。社会では、「小島さん、自殺する権利もありますよ」で終わりだ。けど、刑務所は生きるのが義務なのだ>

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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